今回、紹介したい映像作品は「少林寺 十八の羅漢」
気になるあらすじ
映画「少林寺 十八の羅漢」は、中国の少林寺で修行する18人の僧兵が、非道な海賊と戦う物語です。
彼らは仏の教えを守りながら、少林拳を駆使して海賊を制圧していきます。
しかし、海賊に父を殺されたウージョンは、敵軍の総長である双子の弟を撲殺してしまい、兄から怒りを買います。
1554年から1557年の出来事であり実話に基づいているとのこと。
映画としてフィクションも織り交ぜていると思いますが私なりの解釈で観ておりました。
まずは日本の海賊たちが銃を使うことについてです。
年代的には織田信長が1511年生まれで1552年に亡くなっていることから鉄砲隊の運用をしていてもおかしくないかなぁと思いました。
海賊とされていた小西将軍とはいったい何者なのか?
基になった人物は小西行長という武将ではないかと思っています。
時代としては少し出来事より後に商人の家で生まれた武将なのですが、当時に記録された情報ですので誤差があると考えるといい線ではないかと思っています。
小西行長は明・朝鮮へと進軍して漢城占領に成功して、その後も進軍していきます。
豊臣秀吉からの指示は簡単に言うと明の征服だったためです。
本プロジェクトには小西の兄弟などの身内も参戦していたこともあり、明の記録として小西という武将の名が刻まれていた可能性があり、明の民からしたら残虐的な海賊に映ったでしょう。
それで本作では小西将軍だったのだと思います。
小西行長が第一波ではなく倭寇(日本人を主体とした海賊)は13世紀頃から存在していたのでこの行いについての物語だと思います。
そのため、各地で海賊行為が小西将軍部隊以外に存在していたのです。
実際の小西行長自身は聡明な方なので本作のようなイメージとは違いますが、侵略されている側からしてみればひどい行為をしていることには変わりありませんし誰が小西行長だなんてわかるはずがありません。
作中で応援を呼んでも全て倒されてしまったことからも小西将軍が知将であったことがわかります。
登場する巫女姿の女性がなぜサイを使っていたことについて。
小西行長は1588年に九州の熊本県にある宇土城の当主となっていることと水軍の将であったこともあり琉球王国の民との交流もあった可能性が高いので部下に琉球古武術の達人がいてもおかしくはないでしょう。
そして、城主であれば情報戦で有効な忍者もいるでしょう。
本作の肝である倭寇についてお話をします。
倭寇(わこう)は、13世紀から16世紀にかけて、朝鮮半島や中国大陸の沿岸部や一部内陸、及び東アジア諸地域において活動した日本の海賊でした。
彼らは略奪行為や密貿易を行い、中国や朝鮮側からは蔑称として呼ばれました。
倭寇の歴史は大きく前期倭寇(14世紀前後)と後期倭寇(16世紀)に分けられます。
前期倭寇は主に北部九州を本拠とした日本人で、一部は高麗人でした。
彼らは主に朝鮮沿岸を活動の舞台として、中国沿岸(登州、膠州など黄海沿岸)にも及びました。
しかし、日明勘合貿易の発展とともに消滅していきましたが海沿いに住み、海上での支配権を持っていた豪族も、警固を行う一方で略奪行為も行っていたことでなくなることはありませんでした。
後期倭寇は、日本人はそれほど多くなく、中国人や朝鮮人の割合が多かったとも言われておりますが小西行長のような大名の下で水軍として活動していた者たちもいたことも事実です。
後期倭寇は明の海禁政策(民間人の海上交易禁止)による懲罰を避けるため、中国人や日本人を含む複数の民族が活動していましたが、豊臣秀吉が1588年に発令した「海賊取締令 (海賊停止令)」という日本からの倭寇(海賊衆)に対する政策を行ったことで日本人の海賊行為はなくなったと考えられます。
豊臣秀吉が1588年に刀狩令を発令されていますが、内容は近いものになっています。
倭寇に対して選択肢が与えられました。
①豊臣氏に従い、大名となる。
②豊臣政権の大名の家臣となる。
③武装を放棄し、百姓になる。
これにより後期倭寇は急に姿を消していきます。
そのことから本作の18人の僧兵の活躍から各地の僧兵が感化されて倭寇撲滅活動を行ったと作中では言われていますが、陰では豊臣秀吉の「海賊取締令」により退いたことも大きく貢献していると思われます。
中国と日本の歴史を織り交ぜて認知してから本作をご覧になってみると知らずに視聴するよりもかなり見ごたえがある作品に化けると思います。
そして本作の主人公を演じたシー・ミャオの緊迫した演技と中国武術大会で優勝した実力から放たれる華麗なアクションはかなり本作を輝かさせています。
子役の時のシー・ミャオがめちゃくちゃかわいかった時の「新・少林寺伝説」も紹介しています。
本作は構図が似ていることもあり数ある少林寺作品の中でもジェット・リー主演の「少林寺」の魂を感じる作品でした。
また、実話を基にしていることもあり、見ごたえもあります。
おそらく18人にしたのは「十八羅漢」をイメージしたのだと思っています。
知りたい映像作品ジャンル
ジャンル : アクション
主演 : シー・ミャオ
再生時間 : 94分
3つの楽しみポイント
①アクションの迫力
映画はカンフーアクションが豊富で、少林拳の技術や武器を駆使した戦闘シーンが見どころです。
特に、少林寺の武僧たちが海賊と壮絶な戦いを繰り広げる姿は圧巻です。
シー・ミャオも本物ですがウージョン役 の グ・シャンウェイも北京伝統武道選手権で優勝している本格派ですのでぜひご覧になってみてください。
② 歴史的背景
明の時代を舞台にしており、倭寇(日本の海賊)との戦いを描いています。
歴史的な背景を基にしたストーリーは興味深く、中国で行われていた問題がテーマとなっています。
③キャラクターの成長と葛藤
主人公ウージュエをはじめとする僧兵たちは、仏教の教えと戒律を守りながら、戦いに臨みますがそれぞれで悩みを抱えており、そんな姿勢に共感できます。
彼らの内面的な葛藤や成長が物語を深化させています。
関連動画
視聴方法
明の海禁政策について
「海禁政策」は、中国明朝時代に行われた政策で、領民の海上利用を規制するものです。
この政策は、海賊の禁圧や密貿易の防止を目的として実施されました。
具体的には、以下の課題に対処するために導入されました。
海賊被害の問題:
日本から船に乗って中国沿岸部にやってきて乱暴狼藉を働く倭寇(わこう)や大盗賊団が海賊被害を引き起こしていました。
この問題は明王朝を危険にさらすものでした。
内乱で停滞した海外貿易の復興:
宋王朝以来、中国の海外貿易は発展していましたが、内乱によって停滞していました。明王朝はこれを回復させる必要がありました。
破綻した朝貢体制の確立:
元王朝を倒した明王朝は、周辺各国から「中華の覇者」であると認めさせる必要がありました。洪武帝は使者を送り、朝貢関係を結ぶように促しました。
具体的な対策として、許可のない民間人の出海を禁止し、海岸線に衛所を設置して監視を強化しました。また、海上貿易は国家が行う朝貢貿易のみに限定されました。
これがいわゆる「海禁政策」のスタートとされています。
しかし、実際は良い解決策とはなっておらず、恩恵がある貿易だけを認めてその他は厳しくしていたことで反発も大きかったのでしょう。
羅漢とは
「羅漢(阿羅漢)」は、釈迦の弟子たちの中で、さとりという最高のレベルに達した者を指します。
この言葉は仏教において重要な意味を持ちます。
正式名称:
「阿羅漢(あらかん)」とも呼ばれます。
さとり:
「迷いを捨て、世界のすべてを知る」という大いなる気づきの心を持つ者を指します。
簡単に言えば、人生や世の中がすっきりとわかり、悩まなくなった状態です。
釈迦の教えを受け継いだ羅漢たちは、人々を幸せへと導くために、釈迦の死後もインド各地で多くの民衆に仏教を広めました。
代表的な羅漢:
十大弟子:
釈迦の弟子の中で特に優秀な10人。それぞれがナンバーワンの能力を持ち、釈迦のそばで説法を聞いていました。
十六羅漢:
釈迦から仏教を守り伝えるよう頼まれた16人の弟子。
日本各地のお寺の前にまつられていることもあります。
十八羅漢は慶友・賓頭廬、または大迦葉・軍徒鉢歎を加えた場合の状態です。
五百羅漢:
釈迦の死後に行われた第1回目の教団の集会に参加した500人の弟子。
大迦葉をリーダとして仏教の教えをまとめ、さらに広めることが誓われました。